「うるさい!」「不愉快!」ストリートピアノに批判の声

皆さんもよくご存じの「ストリートピアノ」

 

ストリートピアノは、駅や街中など人が集まる場所を中心に、

全国で約650台設置されていると言われています。

 

もちろん、

「誰でも」

「自由に」お弾きくださいです。

 

しかし、

兵庫県のJR加古川駅では、駅の構内に置かれたピアノに

 

「不快な音を奏でる人がいる」

「駅の放送が聞こえにくい」

 

といった苦情が寄せられ、

設置からわずか半年で撤去される事態になってしまいました。

 

 

日本では、なぜ

「ストリートピアノ」が問題になるのでしょうか。

 

 

もともとストリートピアノは2008年にイギリスの

“Play Me, I’m Yours”という活動から始まりました。

 

「見知らぬ人同士が知り合うきっかけとして、

音楽とピアノをご活用ください」の心からのものです。

 

こうしたパブリックスペースのゆるやかな雰囲気が共感を呼び、

日本でも街中にピアノを設置する動きが見られるようになりました。

 

 

しかし、

YouTubeなどの動画でピアノの腕自慢が出現し出したことで

状況は一変します。

 

時間をかけて撮影機材の設置をしては、

練習の場として一人でピアノを独占し続ける、

大音量で周りへの迷惑を顧みない状況が…。

 

本当に残念ですが

増えてきたように思います。

 

 

NHKでもヨーロッパの「ストリートピアノ」の演奏風景が放送されていますが、

海外と日本とでは明らかに空気感が違うと感じるのは私だけでしょうか。

 

 

日本のストリートピアノには

確かに見物人はいるのだけど、

演奏者との間に何らかのコミュニケーションがある“他者”の存在が

海外に比べると少ないように思います。

 

 

最近、私が出会ったストリートピアノは、

譜面や機材を持ち込んで「練習の成果」を披露する人と、

その“作業”をただ見守る人がいるって感じでした。

 

演奏が終わっても、まばらな拍手があればいい方。

 

シーンとした中、そそくさとピアノを後にする光景が多いようで、

余韻は…。

 

 

前出しの様な、

いわば独りよがりのマナー違反のような演奏では、

当然、見ず知らずの人同士の味わい深い会話など

残念ながら生まれようもありませんね。

 

 

音楽をはじめとした様々な芸術に触れることは、

見ず知らない他者を理解しようとする心から始まり、

必要とするものだと思います。

 

 

演者も、

もっとおおらかに

お互い様の精神で。

 

 

「演奏を聴いて元気をもらえた。ありがとう」

「昔を思い出せて良かった」

「またいつの日かここで会いましょう」

 

見ず知らず同士でも

そんな語らいが出来る日を楽しみに…。

 

 

またどこかのストリートピアノでお会いしましょう。

 

 

 

「可能性を開花させる教室」

大野城市瓦田 ピアノ・エレクトーンの音楽教室 下田ミュージックスクール